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日野宿本陣

【八王子千人同心】

おじーちゃん
「日野は新選組ができるずっと前から、新選組が仕えていた幕府を応援していた土地なんだよ」
選之介
「幕府って徳川?」
おじーちゃん
「そう。八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん)って聞いたことあるかい?」
選之介
「なにそれ?」
おじーちゃん
「徳川家康が関東に来る前、幕府は山梨県の甲州武田氏(こうしゅうたけだし)の元武士250人に国境(こっきょう)を警備(けいび)させていたんだ。徳川の敵だった藩が攻めてくるかもしれないし、当時は色々物騒(ぶっそう)だったからね。
選之介
甲州武田氏って、あの、戦国武将(せんごくぶしょう)の武田信玄(たけだしんげん)のいた藩(はん)だよね。
おじーちゃん
そうだよ。後に千人に増やされたから『千人同心』って言われるようになったんだけど、どんな仕事をしてたかというと、家康のお墓がある日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)の警備や江戸消化役・・・今で言う消防隊など、色々幕府や世の中のためのことをしていたんだ。
選之介
「なんで『八王子』千人同心なの?」
おじーちゃん
「今の八王子千人町(はちおうじせんにんちょう)に同心屋敷(やしき)をつくって、住まわせたからだよ」
選之介
「日野と関係ないじゃん」
おじーちゃん
いやいや、あるんだよ。千人に増やされた同心の9割の人達は八王子だけではなく、その周辺の村々に分散して住んでいたんだ
選之介
「日野は八王子に近いから、同心の人がたくさん住んでいたのか!」
おじーちゃん
「そう。そして同心の人達は、役目のない時は農業をして過していたんだよ。で、呼ばれたら長州(ちょうしゅう)・・・今の山口県や、北九州、四国まで出かけていったんだ。第二次長州征伐(せいばつ)の時だね」
選之介
「そんなに遠いとこまで!昔は飛行機や電車も無かったし、みんな歩いて行ったんでしょ?大変だなぁ」
おじーちゃん
「多摩から新選組に関係した人には、この八王子千人同心とかかわりある人が多いんだよ」
選之介
「え?例えば誰?」
おじーちゃん
「井上源三郎のお兄さんの松五郎(まつごろう)さんがそうだね。彼が天然理心流の剣術を習っていたから、その紹介で彦五郎さんも天然理心流の門人(もんじん)になったといわれているんだ」
選之介
「ふーん、人のつながりって大きいね」
おじーちゃん
「そう、だから、千人同心の存在もあって、今から150年ほど前・・・黒船が来て世の中が変わり始めたころから、日野では剣術を習う人が増えたんだよ。もちろん、習っていたのは生活に余裕(よゆう)がある人達だったんだろうけどね」
選之介
「日野の人達は千人同心を身近に感じてたから、いざとなったら、農民の自分達でも徳川幕府の役に立ちたいと思っていたのかも」
おじーちゃん
「うん。そういう心がけを誇り(ほこり)に感じていたと思うよ」
選之介
「ああ!だから日野の人達は幕府に仕える新選組にも協力的だったのか!」
おじーちゃん
「そう。新選組が京都から引き上げて甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)に加わって、江戸へ攻めてきた薩長側の東征軍(とうせいぐん)を迎(むか)えうった勝沼(かつぬま)戦争では、彦五郎さんをまとめ役とする日野の人々が『春日隊(かすがたい)』を組織し、最新式の鉄砲を用意して加わって戦ったんだよ。」
選之介
「でも、結局徳川幕府は負けてしまったから、徳川についた日野の人達は大変だったんじゃないの?」
おじーちゃん
「そうなんじゃ。そのために日野は東征軍から「新選組のまち」「賊軍(ぞくぐん)のまち」と言われ、しらみつぶしの大捜索(だいそうさく)を受けた厳しい歴史があるんだ」
選之介
「嫌な目にあったんじゃ、みんな新選組が嫌いになりそうだけど」
おじーちゃん
「そういう人もいただろうけど、それでも彦五郎さんを中心に近藤勇、土方歳三が行なった功績(こうせき)を広く知らしめるために、高幡不動尊に碑(ひ)を立てたんだ。新政府の目があったから、しばらくしてからだけど」
選之介
「例え時代が変わって、徳川側についてた者が賊軍あつかいをされても、自分達の思想(しそう)や新選組に誇りを持っていたんだね」
おじーちゃん
「その誇りが『新選組のふるさと日野』という想いに繋がってもいるんだよ」
協力・参考文献:日野市教育委員会・日野市観光協会

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