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日野宿本陣

【日野と甲州街道】

選之介
「なんで日野宿本陣(ひのじゅくほんじん)って有名なの?」
おじーちゃん
「それは前に少しふれたけど、彦五郎さんが住んでいて、その佐藤道場に新選組のメンバーが・・・」
選之介
「それはもう知ってるよ。だったら『佐藤道場』として有名になってるはずでしょ?だけど、みんな『日野宿本陣』って呼ぶじゃない。それは何で?」
おじーちゃん
「あぁ、本陣が何なのかを知りたいじゃな?」
選之介
「そうそう」
おじーちゃん
「だったら、そのころの日野について少し知っておかないといけないな。当時、日野は今の日野市のように大きな市ではなく、今の日野駅周辺の日野本郷(ほんごう)を中心に、土方歳三が生まれ育った石田村、万願寺(まんがんじ)村、川辺堀之内(かわべほりのうち)村など、小さな村を合わせて19もの村があったんじゃ」
選之介
「昔は村だったんだ!」
おじーちゃん
「日野は多摩川や浅川、多くの湧(わ)き水に恵まれたおかげで、水田も多かった。だから、比較的裕福だと前に話したね。江戸まで40kmで1日で行ける距離だったから、江戸とも大きく結びついていたんだよ」
選之介
「あ、これは知ってるよ。日野辺りの多摩地域は大名がおさめていないで、幕府が直接おさめていたんでしょ?」
おじーちゃん
「そう。徳川幕府から直接おさめられていたから、人々は徳川将軍に何かあったら自分達が守らねば、と強く感じたんだろうね。多摩川の『渡し』のことは知っているかな?」
選之介
「昔は橋じゃなくて船でみんな渡っていたんだよね」
おじーちゃん
「幕府は江戸を外からの敵から守るため、大きな川には橋をかけず、渡しによって川を渡らせたんだ。その『渡し』の仕事を幕府は日野に任せていたんだよ」
選之介
「日野ってすごいじゃん」
おじーちゃん
「すごい・・・?確かに甲州街道(こうしゅうかいどう)を使って江戸に行ったり山梨の方へ行こうとしたら、嫌でも多摩川は渡らなくてはいけないから、渡しは大事な仕事だったな。でも日野の役割は渡しだけではなかったんじゃ」
選之介
「まだあるの?」
おじーちゃん
「そう、甲州街道・・・昔は甲州道中と呼んでいたんだが、この道を利用する人達の宿場(しゅくば)があったんだよ。今は電車や飛行機、自動車があるから1日で他の県に行くことができるけど、昔はみんな歩きだったからね、何日もかかった。そしたら泊まる場所がないと困るじゃろ?」
選之介
「だから日野『宿』なのか!」
おじーちゃん
「ふむふむ。街道(かいどう)ってのは、人だけじゃなく荷物も行き来するからな、荷物の取次ぎの場所でもあったんだ。宿場は宿駅(しゅくえき)とも言うんじゃぞい。まぁ日野は隣宿場の府中や八王子と違って小さかったんだけど」
選之介
「へ~。まぁその辺は今に通じるものがあるね。昔の日野の様子がちょっと分かったよ」
協力・参考文献:日野市教育委員会・日野市観光協会

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